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<金大中元大統領逝去>幕を下ろした「三金」時代

記事一覧 2009.08.18 14:58

<金大中元大統領逝去>幕を下ろした「三金」時代

【ソウル18日聯合ニュース】金大中(キム・デジュン)元大統領が18日に逝去し、半世紀近く韓国の政治を動かしてきた「三金」時代が幕を下ろした。

 金泳三(キム・ヨンサム)元大統領、金鍾泌(キム・ジョンピル)元首相とともに「三金」の一人だった金大中元大統領は、唯一、政界引退後も政治に積極的に介入した。1960年代から韓国政治史を牛耳ってきた3人は、「永遠の敵も、仲間もいない」という冷酷な政治の現実を身をもって示した。

 時には同志として手を取り合い、時にはそんなことなど忘れたかのように激しい対立をいとわない。3人の関係は「愛憎」という言葉でも言い表せないくらいだと評される。また、政治で「入神」の境地に至ったという「政治9段」の呼び名は、この3人にだけ許された。それだけ3人が韓国の政治に残した足跡と弊害は深く、また幅広かった。

 金鍾泌氏は1961年、妻の叔父だった朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領の5・16軍事クーデターに加担する中で政治史の表舞台に登場した。金大中、金泳三両氏は1967年、新民党の院内総務を決める党内選挙で「40代旗手論」を掲げて初対決した後、野党の新たなリーダーとして競争と協力関係を築いた。

 1979年10月26日、当時の朴正熙大統領が側近に暗殺され亡くなると、3人は政界での新たな跳躍の準備を進めたが、同年末に軍事反乱を主導した第五共和国新軍部が登場し、暗黒期を迎えることになる。

 金鍾泌氏は新軍部により、権力を利用した不正蓄財者第1号に追い込まれ、財産を差し押さえられ政治活動も禁じられた。金大中氏は内乱を企てたとして拘束され死刑宣告を受け、金泳三氏は自宅軟禁状態に置かれた。だが、民主化に向けた国民の力が「三金」に再び政治活動の場を作った。1987年6月、民主化抗争で大統領直接選挙制が導入されたのだ。

 金大中、金泳三両氏は候補一本化に失敗し、ともに同年の第13代大統領選挙に出馬、金鍾泌氏も忠清地域を基盤に名乗りを上げたが、野党勢力の分裂は与党候補だった盧泰愚(ノ・テウ)候補の勝利に帰結した。

 しかし翌年4月の総選挙で、金大中氏(平和民主党)は全羅道、金泳三氏(統一民主党)は慶尚道、金鍾泌氏(新民主共和党)は忠清道の票を集め、地域感情に根ざした「与小野大」の構造を作った。

 1990年、金泳三氏と金鍾泌氏は執権与党と合体する「三党合党」(民主正義党・統一民主党・新民主共和党)に加わり、巨大与党「民主自由党」を結成した。金泳三氏は与党の大統領候補を狙い、金鍾泌氏は内閣制の憲法改正を念頭に置き、互いに手を組んだ形だ。しかし、金大中氏は民主自由党の誘いにもかかわらず、これに加わらなかった。

 最初に笑ったのは金泳三氏だった。1992年の大統領選挙で与党候補として出馬し当選、一方の金大中氏は敗北を認め政界引退を宣言した。

 金泳三氏の当選で「三金」政治は終わったかのように見えたが、これはまた別の始まりにすぎなかった。金泳三氏と金鍾泌氏は執権与党の民主自由党総裁、代表最高委員として協力関係を結んだが、金鍾泌氏は1995年、金泳三氏ら民主系の退陣圧力に反発して離党し、同年3月に自由民主連合(自民連)を結成した。金大中氏も1995年の地方選挙直後に政界復帰を宣言し、やはり全羅道を地域基盤とした新政治国民会議を旗揚げした。

 1996年の第15代総選挙は、また別の「三金」対決だった。金泳三氏率いる執権与党の新韓国党は過半数に満たない139議席にとどまり、金大中氏率いる国民会議は79議席、金鍾泌氏の自民連は50議席を確保した。

 金泳三氏に締め出された金鍾泌氏は、1997年の第15代大統領選挙を前に金大中氏と手を組んだ。いわゆる「DJP連合」を結成した2人は、与党候補の一本化を実現。これにより、金大中氏は4度目の挑戦で大統領当選を果たし、金鍾泌氏は金大中政権の初代首相として政権のひとつの軸を担った。

 だが、「DJP連合」も長くは続かなかった。2001年9月、金鍾泌氏は内閣制の憲法改正約束が守られなかったとして連合の破棄を宣言。2002年の第16代大統領選挙で新千年民主党の盧武鉉(ノ・ムヒョン)候補が当選し、金大中氏は前職大統領の一人として政界を退いた。

 金鍾泌氏は自民連総裁の地位を維持していたが、2004年総選挙で自民連が当時の盧武鉉大統領の弾劾訴追案に賛成したことから国民の支持を失い、惨敗した。比例代表でも当選できず、金鍾泌氏は「三金」のうち最後に政界引退を宣言した。

 しかし、3人は2007年の第17代大統領選挙で政治介入論争を呼び起こす。金大中氏は分裂した与党勢力の結集を呼びかけ候補一本化を促し、金泳三氏は「失った10年にピリオドを打つべき」として政権交代を強調した。金鍾泌氏はさらに前面に出て、ハンナラ党の李明博(イ・ミョンバク)候補支持を表明した。

 「三金」は激動の韓国政治史で近代化と民主化の実現に寄与した一方で、地域主義とボス政治、金権政治などの弊害を残した。その政治の功労と過失は今や歴史のものとなったが、今なお韓国の政治スタイルは「三金」が作った地域主義の堅固な枠から一歩も抜け出せずにいる。

japanese@yna.co.kr

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