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張成沢氏 北朝鮮ナンバー2から「反革命分子」に

記事一覧 2013.12.09 13:58

【ソウル聯合ニュース】北朝鮮の世襲体制下で挫折を経ながらも約40年間「ナンバー2」として君臨してきた張成沢(チャン・ソンテク)国防委副委員長が、単なる失脚ではなく、「革命の敵」として完全に排除された。 

 北朝鮮は8日、朝鮮労働党中央委員会政治局の拡大会議を開き、張氏とその勢力を北朝鮮の唯一指導体制に挑む反党、反革命分子と見なし、張氏の全役職の解任と党除名を決定した。会議には金正恩(キム・ジョンウン)第1書記も出席した。故金正日(キム・ジョンイル)総書記の義弟、金第1書記の叔父として金ファミリーの支配体制構築に尽力したが、結局は北朝鮮史に裏切り者と記録されることになった。

 張氏は金日成総合大在学中から金日成(キム・イルソン)主席の長女で現党書記の金慶喜(キム・ギョンヒ)氏と交際していた。1972年に結婚、最高指導者の一族に名を連ね、翌年に妻の兄、正日氏が金主席の後継者に内定してからは後継体制に脅威となる政敵の粛清を主導し、輝かしい未来が開けた。

 正日氏は勢力基盤を広げるため、1970年代前半から朝鮮労働党と内閣の主要人物を招き秘密のパーティをたびたび開いた。張氏がこれをまねて側近を集めたところ、正日氏の怒りに触れ、平壌の隣、平安南道の製鋼所に送られて2年間「革命化」と称する労働に従事させられた。権力の非情さを味わった張氏は復権後、最高指導者から警戒されるような行動を控え、金正日総書記の体制を盛り立てる立役者として大活躍した。

 2回目の危機は2004年に訪れた。党の青年事業部長や組織指導部第1副部長などの要職を歴任し金総書記に次ぐ実権を握るようになり、周りに幹部が集まるようになったため。張氏の乱れた私生活も取りざたされたようだ。

 党組織指導部から報告を受けた金総書記は、張氏が管轄していた行政部を解体して失脚させた。張氏は自宅軟禁の状態で自己批判書を書かされ、側近はすべて地方に飛ばされた。

 再起は望み薄とみられていたが、2006年12月末に金総書記の決断で党の勤労団体と首都建設部第1副部長として復帰。金総書記は張氏の頼みを聞き入れ、地方に左遷されていた張氏の側近全員を現職に戻したとされる。さらに2007年に金総書記は党行政部を再設置して張氏を部長に任命し、張氏はナンバー2の座に返り咲いた。

 2008年に金総書記は病に倒れたが、張氏が行政部長として権力を把握していたことで北朝鮮体制の危機を乗り切ることができたとの評価もある。特に、朝鮮人民軍の高官らと共に正恩氏による後継体制を目指し、闘病中の金総書記と若い正恩氏に代わり主要人事や政策を総括した。

 張氏は政治基盤のない正恩氏の後継体制を構築するという名目の下、自分の側近を党と軍の要職に就け、実質的な支配に乗り出した。互恵関係にあった崔竜海(チェ・リョンヘ)氏を軍総政治局長、李英鎬(リ・ヨンホ)氏を総参謀長と軍の両軸に据える一方、反目していた国家安全保衛部(秘密警察)の第1副部長らを粛清した。

 2011年末の金総書記の死後は正恩体制を発足させた。一見順調そうだったが、昨年12月の長距離ロケット発射の成功をきっかけに崔総政治局長ら軍との間で権力闘争が始まり、党行政部と組織指導部間にもあつれきが生じるなど、張氏の敵対勢力が生まれた。正恩第1書記が足場を固め始めたことも影響を及ぼした。そしてついに世襲独裁体制において嫡流でもない張氏はあっけなくナンバー2の座を追われた。

 私生活をみると、慶喜氏との一人娘は2006年のパリ留学中、結婚問題などに悩んだ末に睡眠薬を多量摂取し死亡している。軍高官だった2人の実兄もすでに他界している。

mgk1202@yna.co.kr

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