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[韓国大統領罷免]朴槿恵氏 歴史に汚名残し失職

記事一覧 2017.03.10 17:15

【ソウル聯合ニュース】韓国初の女性大統領として就任した朴槿恵(パク・クネ)氏が憲政史上初の罷免された大統領という不名誉な称号を残し、失職した。今後は容疑者として検察の取り調べを受け、裁判で無罪を主張しなければならない身となった。

朴槿恵氏=(聯合ニュース)

朴槿恵氏=(聯合ニュース)

 朴氏が昨年11月の国民向け談話で「最もつらかった時期にそばにいてくれたため警戒心が薄れていたのは事実だった」と説明した40年来の親友、崔順実(チェ・スンシル)被告に足をすくわれ、19年の政治人生が一瞬にして崩れ去った。

 朴氏は1979年に父親の朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領が暗殺されてから公の場に登場することはなかったが、1997年11月にハンナラ党(現・自由韓国党)に入党し、政界入りした。韓国を襲ったアジア通貨危機をただ見ているわけにはいかないと大衆の前に出たのだ。

 朴氏は1998年4月、大邱・達城で実施された第15代国会議員補欠選挙にハンナラ党候補として出馬し初当選。国会議員を5期務めた。

 2001年に党改革案が受け入れられなかったため同党を離党し「未来連合」を旗揚げするなど混乱期もあったが復党し、04年から有力政治家としての地位を固めた。大統領選の違法資金問題や盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領弾劾の逆風で危機に陥った党の代表に就任し、救援投手の役割を果たした。

 党代表を務めた2年3カ月の間には、国会議員再・補欠選や統一地方選を勝利に導き、「選挙の女王」との異名を得た。

 有力大統領候補としての足場を固めた朴氏は07年にハンナラ党の大統領候補党内予備選挙に出馬したが、当時の李明博(イ・ミョンバク)候補に敗北。予備選の結果を潔く受け止める演説は人々に深い印象を残した。

 また、09~10年には世宗市の構想修正をめぐり大論争を繰り広げた。朴氏は「約束は守るべき」と原案にこだわり、政府の世宗市修正案を否決させ、「原則と信頼の政治家」というイメージを印象付けた。

2012年12月19日に実施された大統領選で、当選確定後に笑顔で手を振る朴氏=(聯合ニュース)

2012年12月19日に実施された大統領選で、当選確定後に笑顔で手を振る朴氏=(聯合ニュース)

 12年の大統領選で勝利し韓国初の女性大統領になったが、就任4年目の昨年、崔被告の国政介入事件により政治人生は大きく揺らいだ。

 うわさとして流れていた朴氏と崔被告の関係が明るみになり、あらゆる疑惑が次々と浮上。国民から退陣を要求されるに至った。結局、昨年12月9日に国会で弾劾訴追案が可決され、大統領の職務が停止された。

 職務停止後、朴氏は官邸ですごしながら名誉回復に向け、憲法裁判所の弾劾審理や朴氏と崔被告をめぐる疑惑に対する特別検察官チームの捜査に総力を挙げて対応した。

 しかし、特別検察官が朴氏を容疑者として立件し、憲法裁が罷免を認める判断を示したことで、権力の頂点から滑り落ち、「法的闘争」の道を進むことになった。

hjc@yna.co.kr

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